YURUKUに出会うまで

体が緩めば心も緩む

自然な姿勢バランスと歩き方で、

軽やかな体と心を思い出したら。

やりたいことが出来る。

行きたい所へ行ける。

YURUKUで楽しむ自由な世界

こんにちは。

YURUKUインストラクターの

伊藤麗花Reika)です

今日はYURUKUに出会うまでの私について、書いてみたいと思います。

体の不調の最初の記憶は小学校4年生の時。

母とその友人が

最近肩凝りがひどくて

と話していました。

その頃肩の重さやだるさを感じていた私が、

私も肩が凝るよー。

と乗っかったら、

子供が凝るわけないじゃない(笑)

と一蹴

本当に凝ってるのに

と思ったのをよく覚えています。

おそらく小学生の頃からかなり姿勢が悪かったのだと思います。

翌年にその母が癌で40歳で亡くなり、私の生活は一変。

最初は自営業で電気工事士をしていた父がご飯を作ってくれていましたが、鬱になった事もあり、いつの間にか私の仕事に。

レトルトのハンバーグやら、さんまの開きを焼いたりして、ビミョーなご飯を作ってました。

洗い物、お風呂掃除は5つ上の兄と1日交代。

掃除機、トイレ掃除は父。

全自動なんてない時代、洗濯は急ぎの分は各自で、あとは1週間分まとめて週末に。

週末の洗濯は半日仕事でした。

(1週間ためるって、今思うと恐ろしい)

6年生の広島への修学旅行のお弁当は4時に起きて作って行きました。

今でも身長150cmちょいの私ですが、当時ももちろん小さかった。

6年間ずっと背の順が一番前だった私、多分3、4年生並みの大きさだったでしょう。

簡単な作業も、自覚はあまりなかったけれど、体格的に色無理してやっていたのだと思います。

心も体も、とってもとっても頑張って毎日を送っていました。

当時はストレスを感じながらも、仕方ない事だし、と割り切って毎日を淡と過ごしていましたが、強がりの塊だったと思います。

中学生の頃は倦怠感と過敏性大腸炎に悩まされました。

過敏性大腸炎というのも、大人になった今だから分かることで、当時はただ、ただ、不調に困ってました。

そうしながらも放任主義の父の元、立派な?大人になりました(笑)

20歳の頃は、本当に肩凝りがひどくて肩叩き機を買って、トントンする毎日。

ちなみに肩凝りは妊娠前に親知らずを全部抜いたらなくなりまして、代わりに肩甲骨の周りが凝るようになりました。

(体って本当に繋がっていますね。)

この頃には冷えもよく感じるように

それでも趣味のバイクでのツーリング、スキー、スノーボードと楽しむ毎日

しかし途中で自律神経の調子を崩して病院に通った事もあり、自分があまり自律神経が安定的でない事を知ってのもこの頃です。

そんな私を安定的に見守ってくれる、とても優しい旦那と23歳で結婚し、翌年には程よい田舎に家も建ててしばらく子供も作らずのんびり夫婦生活。

釣り具店でパートしながら、バイクに釣りにスノーボード(スノーボードクロスの草レースにもチャレンジ)、年下の若者達に混じってBMXにまで手を出して夜の駅前広場で練習したりと、ホケホケと楽しく遊んでいました

立ち仕事で家に帰ると足が棒のようになる事も多かったですが、うやむやにして過ごせる若さでした。

しかし、28歳の時に父が末期癌と分かります。

大阪の大きな病院で、できる事はもう何もないと言われました。

骨転移で痛がる父がなるべく穏やかに過ごせるように、緩和医療ケアができる病院を探しました。

当初はホスピスに反対だった兄も賛成してくれ、いくつも電話をかけてなんとか入れる所が見つかりました。

運の良い事に私の家から車で20分位の近くの病院に入る事ができ、本当に有り難かったです。

入院後すぐ肺炎を起こして危険な状態になった事もあり、私と兄、そして父の彼女と交代で泊まり込みで付き添う事に。

夜は簡易ソファーベッドで寝ながら、側についていました。

モルヒネで痛みを抑えつつ、父は癌が分かって2月後に59歳で亡くなりました。

この頃は連日の泊まり込みで睡眠不足になっていたせいか、足の裏が揉んでも押しても常にたまらなく凝っていてとても辛かったです。

その後、翌年に長男を妊娠しました。

つわりもなく、仕事もやめてゆったりとした妊婦生活

ただただ眠くて、よくゴロゴロ寝てました。

気持ちも安定して、とても幸せな時期でした。

ただ、お腹が張りやすかった為、あまり歩いたりする事が出来ずにかなり運動不足だったと思います

臨月の頃には眠りが浅くなり、睡眠不足からか、ホスピスの頃のような足の裏の凝りが再発

その上、あまり運動しなかった事もあり、足がむくんでふくらはぎも重く張って痛くみ、脚に関してはひどく不調でした。

そうこうするうちに、予定日の1週間前に無事長男を出産!

が、おまたもキレキレ、痔もえらい事に。

そして便秘も超大変でした

そして何よりお腹の筋肉の感覚が分からなくなって、入院中も最初は自力で起き上がれずにベットの電動機能を使って起き上がる始末。

入院中にある、赤ちゃんの入浴指導。

他のお母さん方は難なくやっているのに私はお腹に力が入らず、自分の赤ちゃんを溺れさせそうなくらいのギリギリ。

うちの息子は小さい赤ちゃん(2600g)だったにもかかわらず、です。

それを分かってくれない看護婦さんに

しっかり抱えて!

と言われて泣きそうになりながら、なんとかやり通しました。

そして退院して家に帰る日が来ました。

もちろん里帰りはありません。

退院して帰る途中のスーパーでその日のご飯の買い物をするような、産後の休みなどない生活の始まりです。

しかし、病院の空調が暑かった事もあり、家に帰ったわたしは涼しくて極楽気分

自分で色やらなくてはいけない事はありますが、旦那は協力的ですし、息子はおっぱいをよく飲み元気。

睡眠不足はあるものの、なんとかなりそうに思っていた退院してから2日目にそれは起きました。

朝起きると顔面から肩、背中、手の平、足の裏まで、全身が強烈に凝ってたまらない辛さ。

自分でも突然、何が起こったのか分からないような状態です。

全身を常に揉みほぐしていたいような辛さの中、赤ちゃんのお世話と家事をしなくてはいけません。

辛い、辛い毎日をがはじまりました。

何をしていてもしんどい。

しんどいのにやる事はいっぱい。

おっぱいをたくさん飲むので授乳回数も1日10回以上。

しんどくても眠れなくても、赤ちゃんの抱っこはしなくてはいけません。

テレビが見たくても目が疲れクラクラするので見られない。

雑誌を読むのも疲れる。

車の運転も辛くて近くのスーパーへ行くのがやっと。

ベビー用品店で上の方の商品を見上げていると、クラクラしてきて吐き気がしてくる。

ここから私の体調を良くする為の迷走が始まりました。

YURUKUに出会うまでに続く。

YURUKU公式ホームページこちらからYURUKU考案者Noriko先生のブログこちらから

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