【読んだ本メモ】ジークムント・フロイト『ドストエフスキーと父親殺し/不気味なもの』(中山元訳 光文社古典新訳文庫)

高校生のときに読んだ京極夏彦の小説に、フロイト精神分析にハマってしまってばかりに生きづらい人生を送っている精神分析家が出てきました。

そこでフロイトの話が出てきたので実家にあった『精神分析入門』を読んでみたんだが、ガキにはなんだかよくわからなかったんだな。

いつか読みたいナと棚上げしたままになっていた。

東浩紀の『ゲンロン0』で「不気味なもの」について触れていたので、これを機会にと思って読んでみた。

フロイトの小論を六ツ。

「小箱選びのモチーフ」(1913年)

精神分析の作業で確認された二、三の性格類型」(1916年)

「『詩と真実』における幼年時代の記憶について」(1917年)

「不気味なもの」(1919年)

「ユーモア」(1927年)

ドストエフスキー父親殺し」(1928年)

全体的に理屈の部分はやはり古くさいけど、文学作品を絡めた精神分析は読み物として面白い。

●「小箱選びのモチーフ」

シェイクスピアの『ヴェニスの商人』で、結婚相手を決めるのに三つの小箱から結婚相手を決めるための正解を選ぶシーンがあるという。

僕は雑魚なので『ヴェニスの商人』をまだ読んでいない。

正解として選ばれるのは、金・銀に続く第三の銅の箱。

また、同じくシェイクスピアの『リア王』では、老王リアが本来選ぶべきだったもっとも愛情深き娘は三姉妹の末だった。

僕は雑魚なのでこれまた『リア王』をまだ読んでいないんだが。

そのほか、神話やおとぎ話しで出てくる三人の女・三姉妹は、いずれも末の者が選ばれる。

それはどうしてだろうかと、精神分析的に考察をしてみる。

三人の末娘キャラの共通の特徴は「沈黙」(隠れてしまうのも、沈黙と解釈する)にあり、夢の中の沈黙は、死の表現である。

あるいは末娘は死そのもの、さらには運命の女神であるとも言えるのだと。

●「精神分析の作業で確認された二、三の性格類型」

分析者が精神分析によって患者の症状の背後にどのような欲動があるか知ろうとしたとき、

患者の性格からくるさまざまな抵抗にあう。

そんな意外な性格についていくつか挙げている。

自分が「例外者」だと思い込むタイプ、自分は特別だと頑なに思い込むタイプの性格。

シェイクスピアの『リチャード三世』が取り上げられているが、僕は雑魚なので読んでいない。

成功の絶頂で破滅するタイプ、ここで取り上げられるのはマクベス夫人。

シェイクスピア研究の考察法の一説が取り上げられていて、それはシェイクスピアはひとつの性格をふたりの登場人物に割り当てることが多いので、ふたりの人物の性格を統合して考えなければならないという。

マクベスマクベス夫人のセリフと行動の噛み合わせのちぐはぐさ、再読して確認しなきゃいけないな。

もう一作、イプセンの『ロスメルスホルム』の登場人物の心理描写の移り変わりを分析する、文芸批評のようなことを書いていた。

罪の意識から犯罪に走る性格。

罪を犯したことで罪の意識が生まれるわけではなく、犯罪行為が行われる前から罪の意識が存在していたのだ、説。

ニーチェの『ツァラトゥストラ』の「蒼ざめた犯罪者」で罪責感から罪を犯す者が描かれているという。

僕は雑魚なので『ツァラトゥストラ』は読んでいないし、ツァラトゥストラという言葉が覚えられない。

●「『詩と真実』における幼年時代の記憶について」

ゲーテが幼少の頃に家の食器をぶちこわしまくったエピソードから、幼少期にものを壊す行為を兄弟へ向ける嫉妬心と結びつけて考察している。

●「不気味なもの」

不気味なものとは、恐ろしいもの、不安や恐怖を掻き立てるもの。

この言葉だけでは漠然としたイメージでしかないけれど、使われるときには何かしらの核があるようだ。

・不気味なものという言葉には、どのような意味が与えられてきたか。

・不気味なものという感情を呼び起こす人物・事例・感覚的な印象や体験・状況はどのようなものか。

この二点から考察しているのだけど、どちらも行き着くとろは、熟知しているものや古くから知られているものから生まれる恐ろしさであるということ。

慣れ親しんだもの、馴染みのものが、抑圧された後に回帰してきたもののことである。

不気味さを感じる要素のひとつに、「反復すること」というのがある。

作中で挙げられていた例で言うと、住所やなにかしらの番号に同じ数字が次々に何度も現れたときに、隠された意味を読み取りたくなるものだ。

連続で62が出てきたら、自分は62歳で死ぬんじゃないだろうか、とか。

反復の例で紹介されているホフマンの『砂男』という作品があらすじを読んだだけで気味が悪いのでこれは読んでみたいな。

山中でのっぺらぼうに出会って、あわててふもとの茶店に駆け込んだらそこの親父が「その化け物はこんな顔かい?」っていう怪談、あれも反復要素が怪異の怖さを増幅させているね。

●「ユーモア」

ユーモアの本質は、激しい感情の発生が予測されるような状況においてこうした感情を発生させないこと、冗談を言うことでこのような感情の発生の可能性を消滅させること。

これから絞首台で死刑を執行されることになっている罪人が「おや、今週も幸先がいいぞ」と呟いた、ような。

ユーモアと機知の違いは、ユーモアが苦痛の可能性からの防衛・苦痛を強制されるような状況から逃れるために人間の精神が作った方法のひとつであるのに対して、機知は快感を獲得するかその獲得した快感を攻撃のために利用するものであるという。

わかる、わかる。

●「ドストエフスキー父親殺し」

ドストエフスキーには四ツの顔があるという。

・詩人としてのドストエフスキー

神経症患者としてのドストエフスキー

・道徳家としてのドストエフスキー

・罪人としてのドストエフスキー

作品の中にはサディステックな登場人物が描かれるように、ドストエフスキーには激しい破壊欲動が備わっていた。

だが、些細なことがらについては破壊欲動が外に向けられたサディストに、重要なことがらについては破壊欲動が内側に向けられたサディスト、すなわちマゾヒストになったのだ。

だから人物としては人当たりの良い温和で親切な人間になったのだ、という。

カラマーゾフの兄弟』と『悪霊』しか読んでいないけど、ドストエフスキーの生い立ちや思想的な関わりは読書会絡みで勉強したのですいすい読めたな。

フロイトの理論には現代の考え方からすれば眉唾くさい理屈もたくさんあるけれど、そこに至る発想に関しては大いに学ぶものがあるように思う。

それに読みものとしては面白い。

もう一度『精神分析入門』を、そして『モーセ一神教』を読んでみたいのだ。